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アマルナ革命とツタンカーメン



【神官アイの強大な権勢】
古代エジプト第18王朝に仕える神官アイは、「アメン神(Amen/Amun)」を中心とする伝統的な多神教信仰を忠実に守っていた。彼は、ミタンニ王国にルーツをもった神官一族の血を引く有力者として着実に地位を固めるのみならず、すでに妹のティイもアメンホテプ3世(Amen-Hotep III)の正妃となっており、さらには娘のネフェルティティまでもがアメンホテプ4世の正妃となるに至って、その強大な影響力を王権内に及ぼしていた。


【イクナートンの一神教革命】
ところが、娘の夫となったアメンホテプ4世は、紀元前1346年、旧来の神官勢力に反旗を翻し、あらたに「太陽神アテン(Aten/Aton)」への信仰を掲げ、みずからの名をアク・エン・アテン(Akh-En-Aten/イクナートン)と改めるや、王都をテーベからアマルナへと移し、多神教的な偶像崇拝を禁じ、人類史上はじめての一神教にもとづく政権を成立させる。いわば宗教革命をともなった政治革命である。同時に、彼は、その信仰のもとでの一切の戦闘を否定したため、異民族のヒッタイトに侵出を許してしまった。

新都アマルナにおいては、伝統的なエジプト文化とは異なる、まったく新しい文化が生み出された。いわゆるアマルナ芸術である。美術表現における従来のような様式性は影を潜め、きわめて写実性の強い表現が目立つようになった。また、文学においても、文語体から口語体への転換がなされた。これほどの劇的な表現様式の変化は、たんに地理的な変化や信仰上の変化からのみもたらされたとは考えにくく、むしろ、この革命政権が、他民族の異文化から影響を受けていた可能性をうかがわせる。

イクナートンは、絶世の美女とうたわれた正妃ネフェルティティとのあいだに、長女メリトアテン(紀元前1348年生)、次女メケタトン(紀元前1347年生)、三女アンケセンパーテン(紀元前1346年生/のちのアンケセナーメン)など6女をもうけており、さらには妾とのあいだにもスメンクカーラー(生年不詳/じつはイクナートンの弟だとする説もあり)という男児をもうけていた。そしてアマルナ遷都以後には、スメンクカーラーの実弟にあたるトゥト・アンク・アテン(紀元前1342年生/のちのツタンカーメン)も誕生した。長男のスメンクカーラーは、やがて異母妹にあたる次女のメケタトンと結婚した。


エジプト・アマルナ王朝手紙集/飯島紀
消されたファラオ - エジプト・ミステリーツアー/グレアム・フィリップス
背教のファラオ - アクエンアテンの秘宝/スコット・マリアーニ





【スメンクカーラーとの共同統治】
紀元前1338年、スメンクカーラーの妻であったメケタトンが死去。すると、スメンクカーラーは、その姉であるメリトアテンをあらたな妻に迎え、紀元前1336年には王位に就くや、父(あるいは兄?)のイクナートンとの共同統治を開始した。父のイクナートンもまた、あらたな王妃としてミタンニ王女のタドゥキパ(キヤ)を迎えていた。前妻のネフェルティティはいつのまにか姿を消しており、その痕跡までもが消し去られていた。
共同統治者であるイクナートンとスメンクカーラーは、じつは親子(あるいは兄弟?)でありながら男色関係にあったともいわれている。その意味では、スメンクカーラーこそが前妻ネフェルティティの立場を奪ったのかもしれない。事実、スメンクカーラーは、まるで女性のような身なりと振る舞いをしていたのだ。

ちなみにスメンクカーラーの次代には、ネフェルネフェルアテンという王が即位したことになっている。しかし、両者の即位名はともに「アンクケペルウラー」であり、さらには両者ともに「ネフェルネフェルレ」をも名乗っていた。そうした理由から、この2代の王は同一人物と見なされている。
それどころか、まるで女性のように見えるスメンクカーラーの正体とは、ほかならぬ夫との共同統治を目指した前妻ネフェルティティではないかという説もある。
なお、スメンク・カー・ラー(Smenkh-Ka-Re)の名には、「ラー神(Ra/Re)」が含まれる。ラー神は、第11王朝時代にテーベが首都となって以来、「アメン=ラー」としてアメン神に一体化して主神と崇められ、ファラオの即位名のなかにも伝統的に取り入れらていた。おそらくスメンクカーラーは、伝統的な「アメン=ラー」を重視する立場から、アマルナ政権側とテーベ神官団とのあいだを調停していたのである。これは、スメンクカーラーの正体が、神官の血を引くネフェルティティだったとしても矛盾のない話である。
ちなみにネフェルティティにかんしては、そもそも神官アイの娘ですらなく、ほかでもないミタンニ王女のタドゥキパ(キヤ)と同一人物ではないかという説もある。いずれにせよ、ネフェルティティがミタンニ王国にルーツをもつのは間違いなく、やはりテーベの神官勢力と繋がりをもっていただろうことが推測される。


しかしながら、イクナートンとスメンクカーラーは、紀元前1334年ごろに相次いで謎の死を遂げる。


モーセと一神教/ジークムント・フロイト
別冊100分de名著 旧約聖書 「一神教」の根源を見る/加藤隆
世紀末の黙示録 - 甦る古代の伝説と真実の歴史/I. ヴェリコフスキー
ツタンカーメン/山岸凉子





【ツタンカーメンによる伝統回帰】
紀元前1333年、イクナートンの息子にして、スメンクカーラーの弟でもあったトゥト・アンク・アテンが、異母姉であるアンケセンパーテンと結婚し、わずか9歳で王位を継ぐことになる。父にはじまる宗教革命はここに終焉し、ふたたび首都はアマルナからテーベへ戻り、幼い王もまた祖父のように伝統的なアメン神信仰を取り戻すや、その証としてトゥト・アンク・アテン(Tut-Ankh-Aten)の名をトゥト・アンク・アメン(Tut-Ankh-Amen/ツタンカーメン)へと改めた。同時に、妻のアンケセンパーテン(Ankhesenpa-Aten)も、アンケセナーメン(Ankhesen-Amen)へと改名した。

なお、精神分析学の祖として知られるフロイトの説によれば、このときにアマルナでアテン神に仕えていたエジプト人神官たちが、祖国を追われてパレスチナに向かい、そこへ一神教の信仰をもたらしたのだという(フロイト著「モーセと一神教」より)。
あるいは、アマルナ革命の初期の段階でエジプトから解放されたユダヤ人奴隷たちが、その恩恵とともに一神教の信仰をパレスチナへ持ち帰ったのかもしれない。ただし、いわゆる「出エジプト」の時期については諸説があるため、はたしてアマルナの革命政権が存続した時期(紀元前1346~1334年)に一致するかは不明である。
ちなみに「旧約聖書」において、ソロモン王が神殿の建築に着手したのは「その在位4年目(紀元前967年)にして出エジプトから480年目とのこと」だと記されている。そこから逆算すれば「出エジプト」は紀元前1447年の出来事ということになる。また、「赤子のモーセをナイル川から救った」とされる王女が、かりにハトシェプストだと考えるなら、それは紀元前1500~1480年ごろの話であり、そこから考えれば、80歳のモーセが「出エジプト」を決行したのは紀元前1420~1400年ごろとなる。いずれにしても、アマルナ革命の時期よりは少し早いようだ。
このほか、「出エジプト」の時期については、早いもので紀元前1513年ごろ、遅いもので紀元前1260年ごろなどの説もある。



黄金のツタンカーメン - 悲劇の少年王と輝ける財宝/ニコラス・リーヴズ
ツタンカーメン 死後の奇妙な物語/ジョー マーチャント
ツタンカーメン - 「悲劇の少年王」の知られざる実像/大城道則
ツタンカーメン少年王の謎/河合望





【王妃ネフェルティティの墓】
若きツタンカーメンとアンケセナーメンは、古都テーベの王宮において幸福な日々を過ごしたが、ふたたび神官団の勢力も拡大しはじめていた。そして、王が18歳の若さで急逝すると、なぜか心臓を抜き取られて復活不能とされた亡骸だけがミイラに処理され、本来は義母ネフェルティティのために用意されていた墓へと葬られてしまった。

ネフェルティティ自身は「スメンクカーラー」として別の場所へ葬られたのかもしれない。しかし、そのスメンクカーラーの墓も、いまだ発見されていない。

ツタンカーメンの死後は、そのネフェルティティの父にして、いまや大神官となっていた長老のアイが、未亡人のアンケセナーメン(=孫?)を若妻に娶ることで王位に就こうと動きはじめた。これを嫌ったアンケセナーメンは、他国から若い王子を迎えるべく異民族のヒッタイトに協力を求め、ヒッタイト側もこれに応じたが、エジプトへ送られたはずの若い王子は、その道中で何者かに暗殺されてしまう。かくして若いアンケセナーメンを妻に迎えた大神官のアイは、王位に就くなり(即位名はケペルケペルウラー)、将軍のホルエムヘブをパレスチナに派遣して宿敵のヒッタイトを撃退してしまう。そしてアイが老いて死去すると、いまや英雄となった将軍ホルエムヘブが王位を継いで(即位名はジェセルケペルウラー/セテプエンラー)、革命以降の四代の王の事績をすべて抹消してしまったのである。


伝説の王妃ネフェルティティ/フィリップ・ファンデンベルク
王妃ネフェルタリの墓 - 古代エジプト文明の粋ここによみがえる/ジョン・K・マクドナルド
転生者オンム・セティと古代エジプトの謎/ハニー・エル・ゼイニ、キャサリン・ディーズ
古代の美を探して、エジプト/Pen 2017年1月1-15合併号






…追補
2019年6月8日放送 NHK 地球ドラマチック「ツタンカーメン ファラオの真実~財宝は語る~」より。
ツタンカーメンの墓の発見からおよそ100年。王墓から発掘された5000以上の財宝の中で、最も有名な黄金のマスクを調べた結果、ツタンカーメンの名前を表す文字の下に、姉メリトアテンの名前の痕跡が見つかった!調査の結果、副葬品の多くは、もとは姉メリトアテンの所有物であった可能性が高いことが判明。そこには、わずが7歳で即位したツタンカーメンの、激動の人生の物語が刻まれていた…(フランス 2018年)

およその内容は以下の通り。
アクエンアテンは、宗教改革を断行してアマルナに王都を移したが、ヒッタイトに敗北し、カデシュの支配力を失って青銅の供給を途絶えさせるなどの失政に甘んじた。さらには疫病のために4人の娘や妻のネフェルトイティをも失う。やむなく長女のメリトアテンと婚姻関係を結んだが、ほどなくして母のティイとともに死去。その結果、わずか14才のメリトアテンが女王の座へと就いた。彼女は、ヒッタイト王子に政略結婚をもちかけるなど奇策を弄しながら体制を立て直し(ヒッタイト王子はエジプトへの道中に死去)、やがて父の治世を否定するように王都をアマルナからテーベに戻す。そして祖父のアメンヘテプ3世の王墓もテーベに移して、母のネフェルトイティや祖母のティイとともに合葬した。スメンクカラーも王位にはあったが、実際に彼が国を治めることはなかった。ところが、メリトアテンは、謎の死を遂げる。すると、こんどは弟のツタンカーメンが、父のアクエンアテンとその側室だったキヤの遺骸をアマルナからテーベに移して粗末な墓へ葬り、その王位を継ぐことでファラオの座に就いた。このとき姉のメリトアテンの事蹟はことごとく消し去られ、彼女のために用意されたはずの副葬品も、すべてツタンカーメンのために転用されることになった。


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