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リトル・リチャードとソウル&ファンク

Soul&Funk with Little Richard
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リトルリチャード ジェームスブラウン サムクック 名作 傑作 代表作 おすすめ

5月9日にリトル・リチャードが死んだ。
「ロックンロールの創始者」と呼べる人物は、ほとんどいなくなってしまった。

リトル・リチャードは、一面では、ポール・マッカートニーをはじめとする白人ロック歌手に大きなインパクトを与えている。しかしながら、チャック・ベリーやボ・ディドリーらを起点に白人音楽へと受け継がれたギター・ロックンロールとは異なり、バレルハウス・ピアノに由来するニューオリンズR&Bゴスペルなどを昇華させたリトル・リチャードのピアノ・ロックンロールは、むしろ、その後のソウルファンクにこそ決定的な影響をもたらしたと言うべきである(そもそもリズム&ブルースとは、ギターではなく、ピアノによってこそ生み出され発展した音楽だ)。

とりわけ初期のジェームズ・ブラウンにとって、また初期のサム・クックにとって、リトル・リチャードの存在はきわめて重要な指標であった。



【リトル・リチャード と ジェームズ・ブラウン】
1953年に、ジェームズ・ブラウンがみずからのゴスペルグループを率いて活動を始めたのは、すでにリトル・リチャードが地元のスターとして活躍していたジョージア州においてである。リトル・リチャードは、ゴスペルを基礎としつつ、ルイ・ジョーダンのジャンプブルースような痛快なダンス音楽を生み出そうとしていた。それはまさにジェームズ・ブラウンが模範とするスタイルでもあった。

Louis Jordan『Louis Jordan 1939-1954』

1955年、リトル・リチャードは、自身のマネージャーをジェームズ・ブラウンに紹介して、彼らにデモ音源を作らせる。そこで録音されたのは、のちにデビュー曲となる「Please, Please, Please」であるが、この曲名もリトル・リチャードがナプキンに書き記した言葉に由来するという。まもなくリトル・リチャードがスペシャルティ・レコードに移籍して地元を離れると、ジェームズ・ブラウンがリチャードになりすまして残りのステージを受け継いだ。
スペシャルティに移ったリトル・リチャードは、ニューオリンズのコジモ・マタッサ・スタジオを拠点として、ロックンロールの名曲を量産していく。もともとニューオリンズには、プロフェッサー・ロングヘアやファッツ・ドミノらのリズム&ブルースに受け継がれたバレルハウス・ピアノの伝統があった。リトル・リチャードがもつゴスペル仕込みの弾き語りのポテンシャルが、そこで見事に開花したのである。彼のロックンロールの表現は、過激なまでにエキサイティングだった。

Fats Domino『Jukebox 20 Greatest Hits』

なお、そこでプロデュースを担当していたのは、のちにサム・クックを成功させることになるロバート・バンプス・ブラックウェルであり、躍動的なバックビートを生み出していたドラマーは、のちに西海岸でレッキング・クルーの一翼を担うアール・パーマーであった。

Little Richard『Here's Little Richard』(1957)

ちなみにリトル・リチャードの快進撃が始まったのと同じ1956年、負けず劣らず奇矯なパフォーマンスで人々を狂喜させたのがスクリーミン・ジェイ・ホーキンスであった。ジェイ・ホーキンスは、ルイジアナのブードゥー教を「ネタ」にしたコミカルなブルースを強烈なシャウトとアクロバティックなピアノで演奏した。彼も、リチャードと同じくゲイだったかもしれないが、本当のところはよく分からない。

Screamin' Jay Hawkins『Voodoo Jive』

リチャードはロックンロール歌手であり、ジェイ・ホーキンスはブルース歌手だと思われがちである。しかし、そのような分類は無意味だ。そもそもジェイ・ホーキンスは、カントリーブルースの系譜に位置する歌手ではない。彼のベースにあるのはクラシック音楽であり、その後はモダンジャズやピアノブルース、さらにはルイ・ジョーダン、ロイ・ブラウン、ワイノニー・ハリスなどの影響を受け、タイニー・グライムスやファッツ・ドミノのバンドでも活動した。つまり、彼もまたジャンプ&ジャイヴのような新しいリズム&ブルースの時流に乗って登場したピアノマンなのだ。ラジオDJのアラン・フリードも彼のことを絶賛した。

リトル・リチャードとスクリーミン・ジェイ・ホーキンスには共通の時代精神が見られる。それは、クレイジーな笑いによって黒人のブルージーな歴史を突き抜けようという意思である。両者は、その試みに成功したのだ。もちろん、音楽的な意味において「ブルースからの脱却」が実現するには、ジェームズ・ブラウンファンクの完成を待たねばならない。


【リトル・リチャード と サム・クック】
1956年、スペシャルティ・レコードでゴスペルを歌っていたサム・クックが世俗歌手へと転向する。それを促したのが、リトル・リチャードのヒット曲を手掛けていたロバート・ブラックウェルなのであった。すでにサム・クックはソウル・スターラーズのリード歌手としてアイドル的な人気を誇っていたが、彼のゴスペルからポップスへの転向は、一面においてリトル・リチャードの成功を追うものだったといえる。
ただし、このときにサム・クックが歌おうとしたのは、リトル・リチャードのような過激なロックンロールではなく、むしろナット・キング・コールのような路線の穏当なスタンダード曲であった。というのも、すでに世間ではロックンロールに対する逆風が強まっていたのである。

Nat King Cole『The Very Best Of Nat King Cole』



【サム・クックの成功 と ジェームズ・ブラウンの成功】
1957年、ロバート・ブラックウェルは、サム・クックを伴ってスペシャルティからキーン・レコードへ移り、彼の代表曲となるバラード「You Send Me」をプロデュースする。
かたやリトル・リチャードは、同年の末に突如として世俗音楽からの引退を表明して、神学の道を歩みはじめる。世間の風潮と同様に、聖職者一族の出身である彼自身もロックンロールを忌避するようになったのだ。
このときリチャードがキャンセルしたツアーの穴を埋めたのも、すでにキング・レコードからデビューを果たしていたジェームズ・ブラウンであった。デビュー後もなかなかヒットが出せずにいたブラウンにとって、このことが大きな勝機となる。翌58年に、ジェームズ・ブラウンは、もともとの彼のバンドのメンバーと、リトル・リチャードから引き継いだバックボーカルのメンバーを率いて、代表曲のひとつ「Try Me」を生み出すのである。ただ、こうしたジェームズ・ブラウンの初期の楽曲も、けっして過激なロックンロールではなく、いわばティンパンアレーやドゥーワップの作風に近いロッカバラードであった。

Sam Cooke『Songs by Sam Cooke』(1958)
James Brown『Try Me!』(1959)





【ロックンロールの終わり】
リトル・リチャードの突然の引退は、いわばロックンロール時代の「終わりの始まり」を告げる出来事でもあった。

1957
サム・クックの「You Send Me」がヒット。
リトル・リチャードが引退。
1958
ジェームズ・ブラウンの「Try Me」がヒット。
エルヴィス・プレスリーが陸軍召集。
ジェリー・リー・ルイスの結婚スキャンダル。アラン・フリードらのぺイオラ問題。
1959
バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスらが飛行機事故死(音楽が死んだ日)。   
チャック・ベリーが逮捕。
1960
エディ・コクランとジーン・ヴィンセントが自動車事故で死傷。

そして、まもなく<ソウル><ファンク>とが、ロックンロールの次代を担う新しいリズム&ブルースの様式として創出されることになる。だが、後述するように、それすらもリトル・リチャードの存在なくしてはありえなかった。

ちなみにロバート・ブラックウェルは、サム・クックを成功させたのち、リトル・リチャードのゴスペル作品を手掛けている。さらに、彼は70年代までリチャードのマネージャーを務め、80年代にはボブ・ディランゴスペル作品も手掛けている。

Little Richard『The King of the Gospel Singers』(1961)
Bob Dylan『Shot of Love』(1981)





【ソウルの誕生】
数年のあいだゴスペル歌手として活動したリトル・リチャードだったが、1962年になってサム・クックとの共演をふくむ欧州ツアーへ出る。当時のサム・クックは、アール・パーマーらを中心とするレッキング・クルーの演奏によってヒット曲を連発していた。リトル・リチャードは、そんなサム・クックのパフォーマンスに触発されたのか、これをきっかけにして世俗歌手へと復帰した。
なお、ゴスペルの鍵盤奏者だった弱冠16才のビリー・プレストンが世俗音楽へ転身したのも、このリトル・リチャードとのツアーがきっかけである。そして、ちょうどデビューしたばかりのビートルズも、このツアー中に、彼らの憧れであるリトル・リチャードと、そのバンドのメンバーだった若きビリー・プレストンに出会っている。
この翌年、ビリー・プレストンは、サム・クックの設立したSARレコードからソロデビューし、その後はサム・クック作品への参加、デビュー前のスライ・ストーンとの共作、タルサ・コネクションやレッキング・クルーとの交流、ビートルズローリング・ストーンズ作品への参加など、ジャンル横断的な活躍を見せることになる。

Billy Preston『16 Yr. Old Soul』(1963)

欧州ツアーにおけるリトル・リチャードとの共演は、ほかならぬサム・クックにとっても大きな転機となった。それまでナット・キング・コール風の優雅なスタイルで歌っていたサム・クックは、これ以降、ゴスペル感覚にあふれるアグレッシヴな歌唱スタイルへと転じていくのだ。サム・クックとの共演がリトル・リチャードの世俗的パワーを目覚めさせたのと反対に、リトル・リチャードとの共演がサム・クックのゴスペル感覚を目覚めさせたともいえる。強い精神性をもった新しいリズム&ブルースの様式は、60年代半ばに<ソウル>と呼ばれるようになる。
ちなみにサム・クックは、71年に「Well(Alright !)」という曲をリトル・リチャードに提供している。

Sam Cooke『Night Beat』(1963)




【ファンクの誕生】
同じく60年代の半ば、ついにジェームズ・ブラウン<ファンク>という新しい音楽様式を創出する。それはメロディ展開やコード進行などを排し、ゴスペルの推進力やロックンロールの跳躍力だけを極度に抽象化して純化させた究極のダンス音楽であった。その基礎の一つとなったのがリトル・リチャードのロックンロールであるのは疑いようがない。
ほとんど意味をなさない歌詞の連呼によってグルーヴを生み出すジェームズ・ブラウンの独創的なシャウト唱法には、素っ頓狂な奇声で「Caldonia!」を連発しながら人々を踊らせたルイ・ジョーダンと、「A wop bop a lu bop, a lop bam boom!」などと意味不明なフレーズを叫びながらクレイジーなエネルギーを躍動させたリトル・リチャードからの系譜を見てとることができるだろう。
とりわけ67年の「Cold Sweat」は、黒人の身体性をブルースコードの呪縛から解き放つことに成功したとされる。その意味でも、ジェームズ・ブラウンこそは、リトル・リチャードの正統な後継者だった。

James Brown『Out of Sight』(1964)




【ジミ・ヘンドリクスとの関係】
ソウルファンクが勃興しはじめた60年代の半ばに、リトル・リチャードのバックバンドに加わっていたのが若き日のジミ・ヘンドリクスである。しかし、残念ながら、ギターブルースを基礎としていたジミ・ヘンドリクスが、ピアニストであるリトル・リチャードの音楽にどれほどの敬意をもっていたかは疑問である。たとえリトル・リチャードが彼の才能を認めていたとしても、ジミ・ヘンドリクスは、いわば米国のリズム&ブルースの世界における鬼子だった。ジミ・ヘンドリクスの真の「可能性」が引き出されたのは、米国のリズム&ブルースの世界においてではなく、英国のブルースロックの世界においてだった。

Jimi Hendrix『West Coast Seattle Boy: The Jimi Hendrix Anthology』
Jimi Hendrix & Little Richard『Super Session 2』




◇  ◇  ◇


リトル・リチャードがソウルファンクに与えた影響は大きい。彼は、ゲイであり、ロックンロール歌手であり、聖職者であり、ゴスペル歌手であった。自由と、狂気と、寛容と、慈愛という矛盾を、その身体性(=Funk)と精神性(=Soul)をもって驚異的に包摂した彼の存在自体が、米国のリズム&ブルースにおけるもっとも重要な創造力の源流だったのだ。




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