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イタリアンプログレ/クラウトロック

Italian Progressive/Kraut Rock
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欧州プログレのシーンにおいて、オペラの故郷であるイタリアと、器楽音楽の本拠であるドイツとでは、まったく対照的な展開を見せた。イタリアンプログレは歌謡表現の拡張として、ジャーマンプログレは器楽表現の進化として、あらかじめ創造されるべく運命づけられていたといえる。つまり、それらは、数世紀に及ぶクラシック音楽史の延長上に発展したのである。

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【イタリアンプログレ】
ヴィヴァルディのバロック音楽ヴェルディやプッチーニのオペラニーノ・ロータやエンニオ・モリコーネの映画音楽、そして地中海性の民俗音楽に見出される肉体主義的な表現は、「プログレ」の様式を獲得したロックミュージックにおいても存分に追求され、強い生命力をもって開花した。それは、ロックインストの発展というよりも、カンタウトーレ(=シンガーソングライター)の表現様式の拡張という側面をもっていた。



Lucio Battisti
ルーチョ・バッティスティ

イタリアを代表するカンタウトーレであるルーチョ・バッティスティの初期作品(70~71年)には、フォルムラ・トレ、PFM、イル・ヴォーロを結成することになるミュージシャンが参加していた。これらのプログレバンドは、バッティスティが(作詞家のモゴールとともに)設立した「Numero Uno(ヌメロ・ウーノ)」レーベルで作品を発表していく。バッティスティもいくつかの作品でプロデューサーを務めた。そして、バッティスティ自身のプログレ/地中海音楽への志向は、72~74年の『自由の歌』『我が美しき天使』『二大世界』という3部作へと到達した。



Formula 3
フォルムラ・トレ

ルーチョ・バッティスティの初期作品に参加していたアルベルト・ラディウス、ガブリエーレ・ロレンツィ、トニー・チッコによって結成されたトリオ。70~73年にNumero Unoレーベルにて4作品を発表し、ギターやオルガンの歪んだ音響を鳴り響かせるヘヴィロックを展開した。最初の3作ではバッティスティがプロデュースを担当している。ラディウスとロレンツィは、解散後にイル・ヴォーロへと加わった。



PFM(Premiata Forneria Marconi)
プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ

ルーチョ・バッティスティの初期作品に参加した I Quelli(クエッリ)のメンバーが、バイオリン&フルート奏者のマウロ・パガーニを加えて結成。バンド名は「マルコーニ」というパン屋チェーンに由来する。イエスやディープパープルなどの前座で注目を集め、72年にNumero Unoレーベルからデビュー。キングクリムゾンやエマーソン・レイク&パーマーで活躍したグレッグ・レイクやピート・シンフィールドの後押しを得て世界進出を果たし、イタリアンプログレを代表する存在となった。マウロ・パガーニは76年に脱退した。



Banco(Banco del Mutuo Soccorso)
バンコ

72年にデビューするなりPFMに続いて世界進出を果たした。正式名称のバンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソは「共済銀行」という意味である。ヴィットリオ&ジャンニ・ノチェンツィ兄弟によるWキーボードを中心とした編成がスケール感のある音楽性を打ち立てており、巨漢のフランチェスコ・ディ・ジャコモがオペラ風の歌唱を聴かせるのも、じつにイタリアらしく痛快である



Il Balletto Di Bronzo
イル・バレット・ディ・ブロンゾ

Citta Frontale というナポリのグループを脱退したジャンニ・レオーネが60年代末に結成したグループ。不穏な美しさと奇怪な暴力性が過激に入り混じる前衛的なシンフォニックロックを展開した。ムゼオローゼンバッハなどに並ぶヘヴィシンフォニックバンドの筆頭とも見なされる。なお、ジャンニ・レオーネが在籍していたCitta Frontaleは、70年代のオザンナの母体となった。



New Trolls
ニュー・トロルス

ニコ・ディ・パロとヴィットリオ・デ・スカルツィを中心として66年のジェノヴァで結成され、ローリングストーンズの前座で注目を集めたあと、同郷のカンタウトーレであるファブリツィオ・デ・アンドレとの共演作品で68年にデビューした。71年の代表作『Concerto Grosso N.I』では、映画音楽の巨匠エンリケ・バカロフのオーケストレーションによるバロック風の音楽を、フォークやフリージャズやヘヴィロックのサウンドに融合させて過剰なまでのドラマ性を生み出した。



Osanna
オザンナ

Citta Frontale を母体として、ダニロ・ルスティチとエリオ・ダーナを中心にナポリで結成され、まもなくミラノに移って71年にデビューした。72年の『Milano Calibro 9 - Preludio, Tema, Variazioni E Canzona』は同名映画のサウンドトラックであり、ここでもエンリケ・バカロフの手掛けるバロック風音楽が、フォークやフリージャズやヘヴィロックのサウンドと交錯し合っている。



Area
アレア

72年に結成。デメトリオ・ストラトスの強烈な個性を中心に左翼色の強い歌を織り込みながら、フリージャズと現代音楽と地中海民俗音楽が交錯するアヴァンギャルドな世界を展開した。



I Pooh
イ・プー

ヴァレリオ・ネグリーニを中心として66年に結成された。バンド名は「くまのプーさん」に由来する。甘美なラブソングをシンフォニックなサウンドに織り込みながら、大規模かつ叙情的な物語世界を紡ぎ出すことで大衆的な支持を獲得した。いわゆるプログレらしい難解さとは無縁であり、その独自の様式は「ラブ・ロック」などと呼ばれて親しまれている。



Le Orme
レ・オルメ

60年代後半にサイケデリックなビートバンドとして結成されたが、エマーソン・レイク&パーマーの影響から、ギターサウンドを排したキーボードトリオへと改組。ピアノ、オルガン、チェンバロ、メロトロン、シンセサイザーなど、あらゆる鍵盤楽器を駆使したシンフォニックロックの様式を追究し、73年の壮大なコンセプトアルバム『Felona e Sorona』によって世界進出を果たした。



Il Volo
イル・ヴォーロ

Numero Unoレーベルの主導により、フォルムラ・トレ解散後のアルベルト・ラディウスやガブリエーレ・ロレンツィなどの腕利きたちを集めて結成された6人編成のスーパーバンド。74~75年に2枚のアルバムを残した。WギターとWキーボードのサウンドを織り込んだ緻密なアンサンブルによって、フュージョンとも思われる洗練された音楽性を展開している。



Picchio dal Pozzo
ピッキオ・ダル・ポッツォ

72年に結成された。ニュートロルスと同じくジェノヴァ出身であり、中心メンバーのアルド・デ・スカルツィは、ヴィットリオの実弟である。バンド名は「井戸からキツツキ」という意味。76年のデビュー作は、ソフトマシーンやマッチングモウルで活躍したロバート・ワイアットに捧げられており、まさにカンタベリー風というべき牧歌的なジャズロックの世界が繰り広げられている。



Opus Avantra
オパス・アヴァントラ

マリオ・デル・モナコの姪にあたるソプラノ歌手ドネッラ・デル・モナコが、作曲家のアルフレード・ティゾッコや哲学者のジョルジョ・ピゾットとともに、オペラ(Opus)における前衛(Avan)と伝統(Tra)の止揚を目指して73年に結成したグループ。



Arti & Mestieri
アルティ・エ・メスティエリ

フリオ・キリコとジジ・ヴェネゴーニを中心にジャズロックの腕利き集団として74年に結成。バンド名は「芸術家と職人」の意味。マネージメント面の問題で本格的な世界進出を果たせなかったが、デビュー前からPFMやアレアとの公演などで注目を集め、地中海的な特質を感じさせる音楽性と高い水準の演奏能力によって、発表した作品は国際的にも高い評価を得た。80年代にはフュージョンに移行している。



Locanda Delle Fate
ロカンダ・デッレ・ファーテ

ブルースロック系キーボードトリオを母体として74年に結成。バンド名は「妖精の宿」の意味。イル・ヴォーロと同様に、WギターとWキーボードを備えた編成で、多彩なサウンドを駆使するシンフォニックロックを追求した。ギリシャ人のニコ・パパサナスィウ(ヴァンゲリスの実弟)のプロデュースによって、77年に『妖精』(Forse le lucciole non si amano più)を発表。商業的な成功は得られなかったが、80年までに3作品を残した。



Mauro Pagani
マウロ・パガーニ

PFMを脱退したマウロ・パガーニが78年に発表した『地中海の伝説』は、おもにクラシック音楽や民俗音楽の領域で取り上げられてきた「地中海文化」の世界観を、プログレの分野にも認知させることになった。パガーニは、イタリア半島周辺にゲルマン部族やイスラム教徒が行き交う地中海世界の多文化的混沌を描き出そうとして、当初は『ランゴバルトとサラセン』というタイトルで作品化を予定していた。彼が探究した地中海音楽は、その4年後に、ファブリツィオ・デ・アンドレの傑作『地中海への道程』へと到達する。



  
ルーチョ・バッティスティ『我が美しき天使』(1973)
ファブリツィオ・デ・アンドレ/マウロ・パガーニ『地中海への道程』(1982)



french


【フレンチプログレ】
ロマン主義から印象主義の時代に確立されたフランス音楽の柔らかな色彩性や、フランス語が本来的にもっている奥ゆかしい響きは、もともとロックミュージックの硬質な表現には不向きであった。それは、イタリア的な肉体性にも、ドイツ的な構築性にも及ばない。しかし、国際主義/多文化主義的な包容力、どこかしら人を喰ったような諧謔性、メランコリックな淡い幻想性は、フレンチプログレに独自の可能性をもたらした。



Gong
ゴング

ソフトマシーンのメンバーだったデヴィッド・アレンが、遠征先のフランスで出会った英国女性の詩人ジリ・スマイスらとともに、期せずしてバンドを結成することになり、カンタベリー仕込みともいえるジャズロックに独自のサイケ風味を加えた「英国系フレンチプログレ」の体裁で69年にデビュー。73~74年の「The Radio Gnome Invisible」3部作では、宇宙の妖精が謎の電波を使って地球人と交信する摩訶不思議な物語を描き、脱力系のSF世界を完成させた。



Magma
マグマ

69年にクリスチャン・ヴァンデを中心として組織された「宇宙系プログレ」の大集団。70年のデビュー以来、「コバイア語」なる謎の惑星言語を駆使して壮大なスペースオペラを展開。それはサン・ラのアフロフューチャリズムやデヴィッド・ボウイのSFファンタジーにも響き合い、ゴングの「Radio Gnome」3部作やジョージ・クリントンのコズミックファンクを先取りした。当初はホーンセクションを中心に変拍子を多用したジャズロックを聴かせたが、混声合唱を取り入れた呪術的なミニマル音楽を経て、しだいにファンク色を強めていった。



Ange
アンジュ

クリスチャン・デカンを中心に結成され、74年にデビュー。叙情的な母国語のヴォーカルと、陰鬱な幻想性をたたえたオルガンの音響を特徴とし、きわめてフランス的なシアトリカルロックの耽美主義世界を作り出した。しばしばジェネシスに比較されるが、メランコリックな気品と高貴な芸術性のなかに、いかにもフランスらしい土臭さや野暮ったさが混じっている。



Atoll
アトール
ATOLL アトール

74年にデビュー。ジャズロックの技巧的なアンサンブルと美しいコーラスハーモニーを融合させた様式は、しばしばイエスに比較される。しかし、柔らかな陰影を生み出す母国語のヴォーカルと、ときに狂気を秘めた個々のソロパート演奏は、フランスらしい詩的で不穏な世界観を醸し出している。



Tai Phong
タイ・フォン

ヴェトナム出身の兄弟が中心となって72年に結成。当初、フランス人のメンバーはいなかったが、のちに現地メンバーを加えて75年にデビュー。英詞を用いている点でも「国際派プログレ」ではあるが、バラード調のメロディアスな旋律、ハイトーンを駆使するジャン・ジャック・ゴールドマンのヴォーカル、泣きむせぶようなギタープレイには、美しく叙情的な歌心が満ちている。

kraut


【クラウトロック/ジャーマンプログレ】
もともと質実剛健な表現を好むドイツは、ハンブルク時代のビートルズを育てた1960年代のビートバンド文化発祥地でもある。70年代にかけて発展を遂げたジャーマンロックは、ベートーヴェンの古典派音楽ワーグナーのロマン派音楽シェーンベルクの近代音楽、シュトックハウゼンの現代音楽の例にもたがわず、旧来の伝統を打ち破って硬派なスタイルを打ち立て、先鋭的な音楽理論を構築しつづけた。ちなみに「クラウト」とは、キャベツの漬け物(Sauerkraut)のことである。



Amon Düül II
アモン・デュール2

もともとの母体となった「Amon Düül」は、サイケロックバンドであるのみならず、アンディ・ウォーホルのファクトリーに影響を受けた政治/芸術コミューンでもあった。68年に分派・独立してフリーロック/ハードロックへと移行した「Amon Düül II」も、過激なアマチュアリズムを発揮して即興性と前衛性を追求すると同時に、やはり硬派な政治性を示した。



Guru Guru
グル・グル

68年に、フリージャズのドラム奏者だったマニ・ノイマイヤーが、ベーシストのウリ・トレプテとともにGuru Guru Grooveを結成。翌年、ギタリストのアックス・ゲンリッヒを加えてGuru Guruと改名し、政治色の強いフリーロック/ハードロックを展開した。なお、マニ・ノイマイヤーは、82年にディーター・メビウスやコニー・プランクらと『Zero Set』を共作している。



Tangerine Dream
タンジェリン・ドリーム

エドガー・フローゼを中心として67年に結成してまもなく、コンラッド・シュニッツラーやクラウス・シュルツェとのトリオ編成に刷新して69年にデビューした。その後、さらなるメンバー交代を経て、現代音楽家のトーマス・ケスラーの影響を受けながら電子音楽に傾倒。77年に映画『恐怖の報酬』のサウンドトラックで評価を得ると、その後はホラー/SF映画の音楽を数多く手がけた。なお、脱退したコンラッド・シュニッツラーはKlusterの結成に、クラウス・シュルツェはAsh Ra Tempelの結成に関わることになる。



Can
カン

シュトックハウゼンの講座で作曲を学んだ鍵盤奏者のイルミン・シュミットが、いったんクラシック音楽の指揮者として活動したあと、68年にホルガー・シューカイらとともにCanを結成。電子音のミニマルな反復を応用したハンマービートによって前衛的なダンス音楽を創出した。



Cluster
クラスター

ディーター・メビウスやハンス・ヨアヒム・レデリウスが、Tangerine Dreamのコンラッド・シュニッツラーとともにKlusterを結成。70~71年に、コニー・プランクの協力を得て実験的な電子音楽を制作し、KraftwerkやTangerine Dreamに影響を与えた。シュニッツラーの脱退と同時にバンド名をClusterに変更。74年には、NEU!のミヒャエル・ローターとともに『Zuckerzeit』を共作し、彼とのユニットとしてHarmoniaも結成している。その後はアンビエント音楽に傾斜し、77年にはブライアン・イーノとともに『Cluster & Eno』を発表。ディーター・メビウスとコニー・プランクは、Guru Guruのマニ・ノイマイヤーとともに『Zero Set』も共作している。



Conny Plank
コニー・プランク

60年代にシュトックハウゼンのスタジオで働き、とりわけ電子的な音響効果とマルチトラック録音の可能性に強い関心を示した。そこから生まれたミキシング手法は、ジャマイカ音楽におけるリー・ペリーのダブを先取りし、KlusterやKraftwerkに代表されるドイツのクラウトロックはもとより、デヴィッド・ボウイやブライアン・イーノに代表される英国のニューウェイヴ、さらに全世界的なディスコのシーンにまで絶大な影響を及ぼした。



Kraftwerk
クラフトワーク

デュッセルドルフ音楽院で学んだラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーが、バウハウス的な機能主義や即興的なインダストリアルミュージックへの関心を共有して70年に結成。バンド名は「発電所」の意味。Canのメンバーとも交流しつつ、積極的に楽器の開発や改造などを試み、電子音楽の可能性を広げていった。71年ごろにはクラウス・ディンガーとミヒャエル・ローターも加わっていたが、彼らは脱退してNEU!を結成した。



Popol Vuh
ポポル・ブー

鍵盤奏者のフローリアン・フリッケを中心に69年に組織された音楽集団。グループ名はグアテマラ神話「ポポル・ヴフ」に由来する。当初は、ムーグ・シンセサイザーの音響にエスニックな打楽器を組み合わせて原始的な世界を描き出し、クラウス・シュルツェらに影響を与えたが、72年ごろからはアコースティックサウンドへ回帰し、宗教的なテーマにもとづくスピリチュアルな作品を制作。エスニック&アンビエント/ニューエイジの領域を開拓しながら、ウェルナー・ヘルツォーク監督の映画音楽なども手掛けた。



Ash Ra Tempel
アシュ・ラ・テンペル

マニュエル・ゲッチングとハルトムート・エンケが、Tangerine Dream脱退後のクラウス・シュルツェとともに70年に結成。まもなくシュルツェが脱退すると、マニュエル・ゲッチングが主導する体制となり、サイケデリック/ミニマル/テクノ/アンビエントなどの領域を縦断していった。76年にはバンド名をAshraに変更している。



Klaus Schulze
クラウス・シュルツェ

Tangerine DreamやAsh Ra Tempelでの活動を経て72年にソロデビュー。フローリアン・フリッケから譲り受けたシンセサイザーやシーケンサーなどを用いて、大作主義的な志向を見せながら、ミニマル/テクノ/アンビエント/トランスなどの領域を開拓していった。



Faust
ファウスト

批評家・プロデューサーであったウーヴェ・ネテルベックの企画から立ち上がったグループ。バンド名は「拳骨」の意味だが、悪魔に魂を売ったゲーテのファウスト博士をも意識させている。北ドイツの廃校をスタジオに改造し、レコード音源の引用、自然音や電子音のコラージュ、ミニマルなループ再生など実験的なサンプリング技法を駆使した異様な作品を完成させて71年にデビューした。スラップハッピーや英国のヘンリーカウなどカンタベリーロックのシーンに関与したことでも知られる。



NEU!
ノイ!

71年ごろにKraftwerkに加わっていたクラウス・ディンガーとミヒャエル・ローターが独立して、72年に結成されたドラム&ギターのデュオ。バンド名は「新しい!」の意味。すべての録音をコニー・プランクが手掛け、75年までに3枚のアルバムを制作した。なお、ミヒャエル・ローターは、74年にClusterの『Zuckerzeit』を共同制作し、彼らとともにHarmoniaとしての活動もおこなった。



Harmonia
ハルモニア

NEU!のミヒャエル・ローターが、74年にClusterの『Zuckerzeit』 を共同制作し、そのまま彼らと新ユニットを立ち上げた。わずかな期間に2作品を残しただけだが、穏やかなエレクトロポップからアンビエント音楽への移行が見られる。



  
ディーター・メビウス/ハンス・ヨアヒム・レデリウス/ブライアン・イーノ『Cluster & Eno』(1977)
ディーター・メビウス/コニー・プランク/マニ・ノイマイヤー『Zero Set』(1982)



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関連項目
バロック音楽
古典派音楽
ロマン派音楽(後期)
近・現代音楽
映画/映画音楽
クロスオーバージャズ
フォークリヴァイヴァル
プログレッシヴロック
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